そばが繋いだ“絆”。師弟関係が生み出すそばの可能性~幌加内町・そばの坂本~|HFT20

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トヅキ合同会社の石川さん、一面に咲くそばの花畑の前で
2024-09-25

 

今期の取材も4回目となりました。今回は幌加内町にある“株式会社そばの坂本”さんと“トヅキ合同会社”さんにお邪魔してきました。


日本三大そばとして有名なのは「戸隠そば(長野県)」「出雲そば(島根県)」「わんこそば(岩手県)」ですが、 実は都道府県別のそばの収穫量で言えば北海道がダントツの1位なのです!
その北海道の中でも幌加内町がトップで、全国1位のそば産地となっています。


そんな日本一の産地でそばを栽培・加工している“株式会社そばの坂本”の坂本さんと商品企画や情報発信をしている“トヅキ合同会社”の石川さんにお話を伺ってきました。


 

そばが繋いだ“絆”。師弟関係が生み出すそばの可能性~幌加内町・そばの坂本~

株式会社そばの坂本 代表 坂本勝之さま
トヅキ合同会社 代表 石川朋佳さま
取材:ライズ北海道 山本、亀山

そばについての想いを語る「そばの坂本」の坂本代表
〔そばについての想いを語る坂本さん〕


―本日はお時間をいただきありがとうございます。今回初めて幌加内町にお伺いしましたが、辺り一面そば畑ですね。


坂本さん:昔は一面が水田でしたけどね、それが今では95%以上がそば畑になっています。他の作物は本当に少ないんですよ。


―やはり“そば”は幌加内町の一大産業ですね。幌加内町の地形や気候などが栽培に適しているのでしょうか?


坂本さん:そうですね。盆地なので昼夜の温度差もあってそばの栽培にはいいんです。それでも近年は気候の変化もあって、去年は高温で良くなかったんですよ。それで今年は1週間から10日遅らせて種を蒔きました。今までだとこの時期にはもう花が落ちてきて、こんなには綺麗な景色は見られなかったんですけど、お二人はタイミングが良かったですね(笑)


―素晴らしい景色ですけど、気候変動の影響を考えると素直には喜べないですね(笑)


 

そば蜂蜜生キャラメル
〔販売中のそば蜂蜜生キャラメル〕


―ではさっそくですが坂本さんの会社の歴史からお伺いしてもよろしいでしょうか?


坂本さん:私は三代目になるんですけど、初代はもう100年程前ですね。祖父はもともと神戸市役所の職員でしたが、野菜やお米を作りたいということで昭和初期頃に北海道に来たと聞いてます。初代はお米をやっていたんですが、昭和45年の減反政策でお米を作ることができなくなりました。その結果、おいしいお米の採れる地域が生き残って、そうではない地域は別の作物を作らないといけなくなりました。以降はそばが徐々に増えていって幌加内町の一大産業になったという訳です。


―坂本さんも若い頃から継ごうと考えていたんですか?


坂本さん:自分は整備工場をやるつもりでいました。二代目の手伝いをしながら整備の仕事を始めて、それなりの工場にしてやっていこうと思っていたんです。


―そうだったんですね。では、その後にそばに注力されるようになったキッカケがあったんですね?


坂本さん:50代でそば打ちをはじめたことがキッカケです。それでそばに対しての関心が深まっていきました。そばの魅力だったり、そばによって生まれる繋がりだったりとか、そば打ちをはじめたことで全国のイベントへ出たりするようにもなりました。


―そば打ちをはじめたことがキッカケだったんですね。


 

楽しそうに笑う坂本さんと石川さん
〔取材中に楽しそうに笑う坂本さんと石川さん〕


―では、石川さんにお伺いします。坂本さんとの出会いや会社を設立することになったキッカケはどのようなものだったのでしょうか?


石川さん:初めに坂本さんと出会ったのは高校生の時です。私は幌加内高校出身なんですけど、「そば」が必修科目としてあって、全生徒が「素人そば打ち段位」の初段を取得することが卒業の条件になっているんです。


―さすが日本一の産地にある高校ですね!


石川さん:その“そば打ち”の授業で坂本さんが外部講師として来て下さった時に初めてお会いしました。そば打ちの全国大会だったり、町内の販売会とかに連れて行って下さったんです。大学に進学した後も、様々な物産展とか、幕張(千葉県)の商談会とかに参加させてもらう機会もいただきました。その当時はそもそも営業を知らなかったので、それを学べたのも坂本さんに同行させていただけたからですね。


―石川さんと坂本さんは素敵な師弟関係ですね。


石川さん:一時期就職もしたんですけど、やっぱり坂本さんが元気なうちに私の考えを何とか形にしたいなと思って、3月にトヅキ合同会社を立ち上げました。


―起業した理由も坂本さんなんですね。石川さんにとって坂本さんはそれだけ大きな存在ということですね。


石川さん:そうです。高校を卒業して7年なんですけど、その当時より関わりが深くなっている気がしますね。


坂本さん:幌加内に高校生として来てくれたけど、やはり石川さんは他の人たちと違ってたんです。とにかく人の話を大事に聞いてくれて、その姿勢がやっぱり素晴らしかったですね。授業では他の生徒もしっかり聞いてはくれているけど、感じ方や受け止め方の違いは別格でしたね。


―石川さんは高校時代から坂本さんと多くの行動を共にしてきて、そばに対する想いや考えが変わったりしましたか?


石川さん:坂本さんから様々な経験をさせていただく中で「そばを通して衣食住と向き合う」という考えを抱くようになりましたし、その考えを軸に会社の事業を考えています。


 

そば殻染め天然衣服のパンフレット
〔そば殻染め天然衣服のパンフレット〕


―今回ノーステック財団の支援を受けて「幌加内そば甘皮茶」と「そば殻染め天然衣服」を開発されましたが、そこに至った経緯をお伺いしてもよろしいですか?


石川さん:ある時に坂本さんが「そばの甘皮部分をどうにか美味しく使えないかな?」とボソッとつぶやいたことがキッカケでした。


―その一言から商品開発をすることになったんですね。


石川さん:そうですね。本当は特許が取れることをやりたいと思ったんですけど、そこまでのことをできる程、私の力量と人脈が無かったですし、まだ別の会社に勤めていたということもあって、スモールスタート出来るものを考えたんです。当時の資金力、飛び込みでお願いできそうなもの、自分のやりたいこと、それらがマッチしたものが“甘皮茶”と“染め物”でした。


―まずは現実的なところからスタートしたということですね。


石川さん:そうですね。本当はレザーとかも作りたいと思っていたんです。「きのこレザー」や「りんごレザー」を作っている事例もあって、「そばレザー」ができたら付加価値の高い商品開発ができると考えたんですけど、実験だけで相当なお金がかかることが分かったので、まずは現実に落とし込んで商品を開発しようと考えました。


―これから石川さんの考えるやりたいことを徐々に実現されるんですね。


石川さん:そうですね。「そばを通して衣食住と向き合う」という自分がやりたいことは変わらないので、その1歩としてちょっとずつ進んで行けたらと考えてます。


 


〔美しい白の絨毯の前で坂本さんの一枚〕


―何も無いところからスタートされて大変だったと思いますが、今回の商品開発で苦労されたことはありますか?


石川さん:苦労の連続でしたね。何をもって正解なのかと(笑)。販売面でも量産をして小売に出せばお金は入るけど、本当に届けたい人に届けられるのか?と考えたりもしました。やっぱり全員と会えるわけではないので、会った方はすごい興味を持ってくれるんですけど、会えない方にどう伝えていくのか?ということは凄く考えさせられましたね。


―小売に出してしまうと単なるそば茶として扱われてしまう可能性もありますし、「幌加内そば甘皮茶」のストーリーを発信したい石川さんとしては本意では無い売り方になってしまうかもしれませんね。


石川さん:商品の売り方には凄く悩まされましたね。


―開発する過程でも試作を重ねて大変な思いをされたんじゃないですか?


石川さん:そば茶を量産していないのは、まだ味に納得がいってないからなんです。ノーステック財団さんの繋がりで酪農学園大学さんに協力をいただいて、やっと自信を持って世に出せるという段階にはなりました。世の中で生き残っている商品は、こうした試作を何十回と積み重ねた努力の結晶なんだなと、実際に経験してみて分かりましたね。


―石川さんにとっては未経験の事ばかりで凄く大変だと思いますが、途中で投げ出したいと思ったりはしませんでしたか?


石川さん:不思議なことに一切思わないんです!多分坂本さんがいるからなんだと思っています。坂本さんの存在が働くモチベーションになっていますね(笑)


―石川さんが商品開発されているのを坂本さんはどう思っていますか?


坂本さん:石川さんの人生を考えた時にね、自分の一言が彼女に大きな影響を与えていると思うんです。例えばこういう世界に入らなかったら、いろいろな分野で活躍できる人なんですよ。そんな中で、そばと向き合って働いてくれていることには感謝しかないですね。


 

雪月花の美味しいおそば
〔幌加内そば「雪月花」でご馳走になった美味しいそば〕

―話は変わりますけども、ノーステック財団から支援を受けていたと思いますが、具体的にはどのようなものでしたか?


石川さん:初期投資ほぼ全てですね。焙煎の実験や交通費から、服を作るのも含めて全てその資金からやらせていただきました。それがなかったら、初期費用を用意するのが難しかったので踏み切れなかったと思います。


―ノーステック財団の支援が背中を押してくれたんですね。補助金での支援もそうですが、ノーステック財団の方々からは様々なサポートもあったんですよね?


石川さん:商品の販路をどう探せばいいのか困っている中で、販売先を紹介してもらったり、開催していただいた勉強会で専門家の方にお話を聞けたりなど、困っていることに対してサポートしていただけるので非常に助かっています。


―最初はどなたからノーステック財団を紹介されたんですか?


石川さん:実は自分では調べていないんですよ(笑)。前職で営業同行で客先に訪問した際に得意先の方が「こんな補助金がある」という紹介を別の人にしていました(笑)。それを聞いたのがキッカケです。その後に申請をしたら運良く採択していただけてスタートが切れた感じです。


―偶然たまたま耳にしたとは言え、すぐに申請された行動力は凄いと思います!


 

そばの坂本製粉工場内の自動石臼機
〔そばの坂本製粉工場内の自動石臼機〕

―最後の質問になりますが、北海道の食の今後についてはどのようにお考えでしょうか?


石川さん:加工力をもっと極めたり、付加価値を付けることが大切だと思ってます。品質は良いのに加工が弱いですよね。生産者さんがいるからこその加工だとは思っていますけど、しっかり分業体制を構築して利益が地域に還元できる仕組みを作ることが重要だと感じています。そうすれば北海道の食を守ることができるのではないかと、自分の希望も込めて思っています。


―ありがとうございます。どうしても食材の加工をするとなると北海道は弱い部分がありますよね。坂本さんは如何ですか?


坂本さん:加工をどんなに上手にやっても原料の品質が良くなければ、その商品の良さは伝わらないですよね。だから生産者として良い原料を作っていかなければならないと思ってます。「他のよりも美味しい」と言ってもらえるようなものを作らなければ、生き残っていけないと感じています。


―生産者としてはやはり素材にこだわることが大事ですよね。今後も生産者である坂本さんと加工者である石川さんの二人三脚で頑張っていただきたいですね。本日はありがとうございました。


 

坂本さんとライズ亀山、製粉工場内での一枚
〔坂本さんと当社亀山、製粉工場内での一枚〕

 

取材を終えた後、私はウォルト・ディズニーの名言を思い出しました。


 

『どんな夢も、それを追う勇気さえあれば実現させることができる』


 

石川さんの挑戦は容易なものではないでしょう。それでも夢や理想を強く持ち、それに向かって進んでいける勇気があれば必ず実現できるものだと思います。


限られたリソースや条件の中で最適なものを見つけ、それを形にしていく作業。


物理的なものだけでは無く、商品の背景やストーリーも含めた商品デザイン。


地域を愛し、地域に根ざす、地域のための事業。


その全てに全身全霊で挑み、ひたむきに取り組む石川さんと、それを見守る坂本さんの優しさを感じ、素晴らしい師弟愛があったればこその商品開発だと思いました。


ライズ北海道はこれからも“トヅキ合同会社”と“そばの坂本”の取り組みを応援します。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


 

(ライティング:亀山将人・編集:山本純己、亀山将人)

 

企業情報

◆企業名|株式会社そばの坂本
◆住所|北海道雨竜郡幌加内町字下幌加内
◆電話番号|0165-35-3227